【私訳 仏性】 その15
“尊者の嫡嗣迦那提婆尊者、あきらかに満月相を識此し、円月相を識此し、身現を識此し、諸仏性を識此し、諸仏体を識此せり。入室瀉缾の衆たとひおほしといへども、提婆と齊肩ならざるべし。提婆は半座の尊なり、衆会の導師なり、全座の分座なり。正法眼蔵無上大法を正伝せること、霊山に摩訶迦葉尊者の座元なりしがごとし。龍樹未廻心のさき、外道の法にありしときの弟子おほかりしかども、みな謝遣しきたれり。龍樹すでに仏祖となれりしときは、ひとり提婆を付法の正嫡として、大法眼蔵を正伝す。これ無上仏道の単伝なり。しかあるに、僭偽の邪群、ままに自称すらく、われらも龍樹大士の法嗣なり。論をつくり義をあつむる、おほく龍樹の手をかれり、龍樹の造にあらず。むかしすてられし群徒の、人天を惑乱するなり。仏弟子はひとすぢに、提婆の所伝にあらざらんは龍樹の道にあらず、としるべきなり。これ正信得及なり。しかあるに、偽なりとしりながら稟受するものおほかり。謗大般若の衆生の愚蒙、あはれみかなしむべし。”
「龍樹尊者の後継者、迦那提婆尊者は、明確に満月の様相を識別し、光の輪の様相を識別し、現れた身体を識別し、諸々の仏性を識別し、諸仏の身体を識別した。龍樹尊者のもとに弟子入りし薫陶を受けた者は多かっただろうが、迦那提婆尊者に比肩しうる者はいないだろう。
(迦葉仏が釈迦牟尼仏を後継者として認め法座の半分を譲ったように、)迦那提婆尊者は龍樹尊者から半分の法座を譲られた方である。教えを受けようとする者たちを導く指導者である。龍樹尊者が持たれた説法の積み重ねの全てを分け与えられたのである。仏の智慧の究極的な肝要を正しく受け継いだことは、霊鷲山の釈迦牟尼仏のもとで摩訶迦葉尊者が後継者となったことと同じである。
龍樹尊者が仏の教えに帰依する以前、異教の教えを説いていた時の弟子は多かったが、みな繋がりを断ってしまった。龍樹尊者が仏の教えを伝える祖師の一人となった時に、迦那提婆尊者ひとりを教えを伝える正しい後継者と認めて、仏の智慧の究極的な肝要を正しく伝えた。これが無上の仏のみちびく道が、ただ一人に伝えられたということである。
そうであるのに、僭越な誤った者たちは気儘に、自分たちも龍樹菩薩の法の後継者であると自称している。論理をたて教義を集成するのに龍樹尊者の名前を利用しているが、それらは龍樹尊者がなされたものではない。昔、龍樹尊者からすてられたような者たちが人の世を惑わしているのである。仏の教えを受け継ぐ弟子であるなら、迦那提婆尊者が受け継いだ教えではないものは、龍樹尊者が示した道程ではないと知らなければならない。
これが真理に正しく適うということである。そうであるのに、間違っていると知りながら伝え受ける者も多い。大いなる仏の智慧を謗る者たちの愚かで道理を知らないさまは、憐れであり悲しいものである。」