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私訳 仏説四十二章経 (43) 第四十二章 世は幻である (終)

(白文引用元:法界佛教總會中文網站 https://www.drbachinese.org/ )
“第四十二章‧達世如幻
佛言。吾視王侯之位。如過隙塵。視金玉之寶。如瓦礫。視紈素之服。如敝帛。視大千界。如一訶子。視阿耨池水。如塗足油。
佛言。 視方便門。如化寶聚。視無上乘。如夢金帛。視佛道。如眼前華。視禪定。如須彌柱。視涅槃。如晝夕寤。視倒正。如六龍舞。視平等。如一真地。視興化。如四時木。“

 

「第四十二章 世は幻である
仏は言われた。(仏の智慧によって)わたしが王侯の権勢を見る時、それは物の隙間に埃がただよっているようなものだ。純金の宝玉を見る時、それは瓦礫のようなものだ。純白の練絹で仕立てた服(貴族の子弟が着る服)を見る時、それは着古して破れた絹のようなものだ。わたしたちの存在する世界全体を見る時、それは一粒の訶子(ミロバラン。香種や薬種として用いる)のようなものだ。私が阿耨池(阿耨達池。竜王が住むとされた仮想の池。流れ出た無限の清浄水が全世界を潤すと考えられた)の水を見る時、足に少しの油を塗るようなものだ。
また仏は言われた。方便門(例えや言い換えで衆生をみちびく教えの道)を見る時、それは宝聚(六波羅蜜。仏の直説である布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若の教えの道)を見ているのだ。無上乗(人の分別や解釈をこえた究極の仏の教え)を見る時、それは金や帛(に例える仏の究極の教え)を夢に見ているのだ。仏のみちびく道を見る時、それは目の前の一輪の花のようなものだ。禅定(深い瞑想)を見る時、それは須弥壇(仏像を安置する台座)の柱のようなものだ。涅槃を見る時、それは昼夜の別なく目覚めているようなものだ。倒正(物事の是非、正邪)を見る時、それは六頭の龍が舞っているようなものだ。平等(平等性智。物事の差異にとらわれない仏の智慧)を見る時、それはひとつの真地(仏の境地)を見ているのだ。興化(仏の教えを広くおこすこと)を見る時、それは四時(一日の中の朝、昼、夕、夜)の木(の様相、うつり変わり)のようなものだ。」

 

   -- 私訳 仏説四十二章経 終 --